僕が東京で一人暮らしを始めたのは、大学二年の春だった。都心から少し離れた、家賃6万円のワンルーム。古かったけれど、日当たりだけは良かったその部屋が、僕の城だった。茨木から水漏れの水道修理で配管を交換しても、暮らし始めて数ヶ月が経った梅雨の時期、僕の城には静かに、しかし着実に領土を広げてくる侵略者が現れた。その名は「悪臭」。キッチンの、シンク下の収納扉を開けるたびに、もわっと鼻をつく、ドブと生ゴミを混ぜたような、あの何とも言えない臭いだ。 はじめは、自分のズボラな性格のせいだと思っていた。溜め込んだ生ゴミか、ろくに洗っていない食器のせいだろうと。ゴミをこまめに捨て、シンクをピカピカに磨き上げた。しかし、侵略者は一向に退却する気配を見せない。扉を開けるたびに、そいつは「まだここにいるぞ」と、その存在を主張してくる。僕はだんだん、キッチンに立つのが億劫になっていった。自炊の回数は減り、食事はコンビニ弁当で済ませることが多くなった。洗面所トラブルを修理専門チームから八街市は城の心臓部であるはずのキッチンが、機能不全に陥っていったのだ。 ある日、僕は意を決して、その悪臭の巣窟であるシンク下の扉を開け、中を覗き込んだ。懐中電灯の光が照らし出したのは、うねうねと曲がりくねった灰色の排水ホース。まるで、異世界の生き物のようだった。よく見ると、そのホースが床に繋がる部分に、わずかな隙間が空いている。ここか。僕は直感的に悟った。この隙間から、建物の奥底に眠る、集合住宅全体の汚泥の記憶が、臭いとなって僕の部屋に侵入してきているのだと。僕はその隙間を、ガムテープでこれでもかというくらいに塞いだ。これでどうだ、と。しかし、戦いはまだ終わらなかった。臭いは少し弱まった気はするが、完全には消えない。僕の心は、じわじわと蝕まれていった。 「部屋、なんか臭くない?」。たまに遊びに来る友人にそう言われた時、僕のプライドは粉々に砕け散った。もう、自分一人の力ではどうにもならない。僕は、これまで一度もかけたことのない番号、管理会社の電話番号をスマートフォンでタップした。事情を話すと、拍子抜けするほどあっさりと、業者を手配してくれることになった。数日後、やってきた作業員のおじさんは、僕が苦戦したシンク下をひょいと覗き込み、あっさりと言った。「ああ、これね。トラップの先の配管が詰まり気味なのと、ここのパッキンがもうダメになってるね」。その言葉は、僕にとって天啓のようだった。原因は、僕のズボラさではなく、この建物自体の老いだったのだ。 おじさんは、専用の道具で配管を掃除し、劣化したパッキンを交換してくれた。作業が終わり、恐るおそるシンク下の扉を開ける。そこにはもう、あの忌まわしい臭いはなかった。ただ、洗剤のかすかな香りがするだけだった。僕は、心の底から安堵した。キッチンに平和が戻ってきたのだ。この一件以来、僕は何か部屋に不具合があった時、一人で抱え込まずに、すぐに管理会社に相談するようになった。賃貸に住むということは、自分だけの力で全てを解決する必要はないのだと、あのドブの臭いが教えてくれた。それは、僕が大人になるための、少しだけ臭くて、そして大切な教訓だった。